「巨人の星」じゃなくて「ワンピース」

一人一人がみんなのヒーロー。

個人の集合体スイミー戦略!

特定の主役だけが強い時代は終わった!

​スイミーも仲間を集めれば

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マグロ(大きく)になれる

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​一人一人がみんなのスイミー

​  鶏ヤローは共に勝つ!

初めまして!鶏ヤロー代表の和田成司です。

クソ長い文章を書くのでクソしてる時に読みモノが

​あった方がキレの良いという方だけ読んで下さい。

 

千葉県野田市と言う軽自動車で浜崎あゆみを頑張って爆音で鳴らして走っているやつは大体友達の町で育ちました。

 

一般家庭で育ち、兄、姉を持つ3人兄弟の末っ子で、

一般的なサラリーマンの父とヤマザキパンのパートで働く母。

そんなに裕福な家庭で育ちませんでした。

むしろ貧乏でしたね。

その頃から母に良く言われていた「サラリーマンになるな!」「男だったらキンタマ据えて金を稼げる大人になれ!」と言った言葉が自然と僕に「将来は社長になる」と言う漠然とした想いを芽生やしたのかも分かりません。

 

そんな僕もスクスクと育ち高校生になった頃、当時同級生だったゆうたくんと言う親友と焼肉屋でアルバイトを始めたのが焼肉屋で起業するキッカケとなります。

 

その焼肉屋の店長は金髪、ロン毛、顔黒でピアス50個くらい空いていて、しょっちゅうチンコを掴んできて、たまに本当に嫌でしたがアルバイトだった僕達を本当に優しく可愛がってくれました!

 

店長はバイトが終わるとカラオケに連れて行ってくれたり飲み行ったり、夏は海、彼女を紹介したらディズニーランドに連れて行ってくれたりと、家庭環境が良くはなく家に帰りたくなかった僕を自宅に泊めてくれたりもしました。

 

今思い返しても本当に有難いです。

当時の僕には店長がめちゃくちゃかっこ良く思えました。

 

この頃、この焼肉屋の店長と学校に行く電車の中で見た黒いスーツを着た毎日葬式みたいな顔をしている大人や、お母さんと喧嘩ばかりしている自分の親父を見比べてたのかも知れません。

 

結局、高校生活の約3年間この焼肉屋の店長にお世話になり、ゆうたくんと僕は自然と「将来は焼肉屋になって店長みたいな自由でカッコいい大人になろう!」と夢を抱くようになっていました。

 

(ちなみにこの焼肉屋は僕が高校卒業と同時に閉店し、のちに店長は新宿のSM倶楽部で働いていると人づてで聞きました。)

 

高校卒業間近のことでした。

その日はバイトも休みでゆうたくんとバイクに乗って遊んでいた時のこと、ゆうたくんが急に曲がってきた車と衝突する事故に合ってしまい、

 

直ぐに救急車で運ばれ手術、入院となりましたが1週間後ゆうたくんは亡くなりました。

 

悲しくて悔しくて本当に毎日にように泣きました。

 

お葬式で友人代表の手紙を読ませて頂いたのですが、泣きじゃくり手紙をシッカリと読めなかった僕にお坊さんが「人は人生を選んで産まれてくる。ゆうたくんは短い人生だったと思うが、君に会えるならと選んで来たんだよ。」と言った話してくれたのを覚えています。

 

その言葉が素直に嬉しかったのと、少し前を向いて生きて行こうと思えるきっかけになりました。

 

そう言えば事故の前日に2人で人は死んだらどうなるんだろう?って話してたんですよね。

何か不思議なことがあるのかも分かりません。

 

この悲しい出来事が、人生とか将来とかを僕なんかにも微力ながら考えさせてくれるキッカケとなり、

 

良く考え抜いた後、飲食業界で最も行かなくて良いとされる調理師学校にシッカリ合コン目的で遊びに行きました。はい、続けますね。

 

専門卒業後は21歳の時に焼肉屋になろうと千葉県流山市にある当時エスフーズの子会社であった七輪焼肉鳴尾と言う会社に独立に向けて熱い気持ちを胸に就職をしました。

 

ここで当時焼肉鳴尾の社長だった方に大変お世話になりました。

 

熱い気持ちを胸に就職なんて言ったものの、すぐに貯金や仕事に本気で頑張れた訳ではありませんでした。

 

入社早々に長時間勤務がキツく、アルバイトスタッフさんやお昼のパートさんとの人間関係も上手く行かず直ぐに退職しようとした時、社長が僕に話してくれた事を覚えています。

 

「サッカー選手にはサッカー選手になりたくてサッカー選手になれた人と、サッカーが好きで何となくサッカーを続けていたらサッカー選手になれた人の2つのタイプがいるんだ。そのほとんどが後者なんだよ。まずは続けてみる事。」

 

そんな話しだったと思います。

まだまだ本気になれてなかった自分、そんな自分を見透かしてアルバイトスタッフさんがついて来ていない状況を、

 

全部、自分以外のせいにして愚痴や言い訳ばかり言って、その割には「オレはゆうたの分まで頑張るんだ!」なんて自分の都合良い事ばかり言っていた自分が居た事に気づきました。

 

さらにこの頃、生活も安定しない中、高校生の頃から付き合っていた彼女と子供ができ結婚しました。できちゃった結婚です。

 

家賃4万5千円の玄関開けたらすぐ台所のアパートで冬は寒く100均で買った防寒用の銀色のシートを窓の隙間に貼り付けた部屋で、

 

お給料も少ないのにまだ遊び足りなかった僕とカミさんがお金の事で喧嘩をした時、その僕の大きな声で、まだ小さかったうちの子が泣いた。

 

その時、その自分の子供の顔を見た時、自分が小さかった時のことを思い出しました。

僕はあれだけ嫌いだった貧乏な自分の子供時代と同じ事をしていると、。

 

自分が情けなさ過ぎて本当に反省しました。

何としても家族を幸せにしたい。

何としても焼肉屋で独立して成功したい。

 

そんな状況の僕に当時の社長はまた話してくれました。(何かあると直ぐに社長に相談してたので笑)

 

「おまえ。いつも口だけなんだよ。ゆうたくんにも良い迷惑だ。でもな、だからこそなんだ。

 

お前みたいな夢とも言えない願望を持ったアホが世の中には沢山居るんだ。だからこそお前みたいなアホが夢を叶えたら他の人達の夢になる。」

 

そんな厳しくも前向きな社長の応援してくれる言葉が本当に嬉しかったです。

 

社長は僕にトイレ掃除と本を読む事を課題としてくれました。今思い返すとすげぇ体育会系ですね。

 

特に船井論語(人生編)と言う本は31項目あるのですが1項目につき感想文を300字書くのが僕の日課で、

 

初めは渋々やっていましたが、続けていると楽しくなってくるもので、徐々に矢印が自分に向くようになりました。

 

その他にも

「歯の矯正をするが如く和田の思考を変える」とか

「オレはおまえに何度でも言う」と言う終礼ノートがあったり、屋台商売をやらせて頂いたり、この会社で人として大切な事や商売を勉強させて頂きました。

 

本当にありがとうございました!

名前は書けませんが佐藤浩社長!今もこれからもずっと感謝してます!

 

(余談ですがその会社は平城苑さんが買収し、佐藤社長は今、戸越銀座で鳴尾赤身焼肉研究所と言う焼肉屋さんをやってます。立地と屋号のセンスはどうか分かりませんが料理は本当に美味しいです!) これ怒られるやつだな。

 

この会社で約7年間お世話になり27歳で300万の貯金と退職する時に会社から頂いた70万、公庫の借入400万を合わせて千葉県柏駅の焼肉屋の居抜きで起業をしました。

 

会社名は学生時代の思い出から、ゆうたくんと共に頑張ろうと、ゆうたの名前にingを付けてゆうだing=(株)遊ダイニングプロジェクトと名付けました。(プロジェクトは憧れの一家ダイニングプロジェクトさんを少し入れちゃいました。)

 

1店舗目は千葉県柏駅の焼肉屋居抜き。

25坪家賃25万の雑居ビルの3階。

保証金150万。造作100万で初期投資がコミコミ500万円位。

 

麦ホップの生ジョッキを売価180円とSATOブリアンさんをベンチマークさせて頂いた、シャトーブリアンがメインの「焼肉牛ヒレ」と言う屋号のお店をオープンしました。

 

会社員時代のOBアルバイトスタッフ数名が一緒に働いてくれて、お店が終わったあとみんなで夢を話しながらお酒を飲むのが本当に楽しかったです!今でも働いてくれている方も居ますし本当に有難いです。

 

初めはお客さんが少なく、近くの郵便局の局長さんにご贔屓して頂き、ノーゲスの店内で帰り際に「和田くん。大丈夫だよ。大丈夫だから。この店売れるよ!」と声を掛けて頂いたのを覚えています。

 

僕が不安な顔をしていたからだと思いますが、お客様に応援して頂いた事が本当に嬉しかったです。

 

自家製キムチを持って近くの会社にチラシを持って行ったり、ノーゲスの時は店内から外看板の電気をカチカチ(看板がピカピカ光る)やってお客さん来ないかなぁ、ってみんなで楽しく仕事をしていました。

 

結果的に初月は売上300万、良い月は400万くらい売れるまずまずのお店となり、

 

半年後に亀有駅の店舗流通ネットの牛角さんの居抜きで「焼肉わが家」と言う自分で考えた全くセンスのないお店を出店しました。

 

一応薄っぺらいコンセプトがあって「香ばしい焼肉屋」でしたが、歴史を積んでない焼肉屋に香ばしさが出るはずもなく、最後の方はもう女性スタッフをとりあえず全員ショーパンで働かせてました。

 

亀有店の家賃は50万円位。それで1日2万円位しか売れない日々が続き、直ぐに解約予告を出しましたが、初期投資と空家賃合わせて600万位溶かしました。

 

次こそはと居酒屋の方が居抜き物件の量が多い事からと言う理由で居酒屋を始めようと本八幡駅(憧れの一家ダイニングさんの本拠地と言う意味の分からない理由)で、

 

居酒屋それゆけ鮭ヤローと言うメニューがサーモンしかない尖ったと言うか自己満なお店をオープンしました。

 

これも全く売れませんでした。

 

サーモンのカルパッチョ、チャンチャン焼き、サーモンピザなど本当にサーモンしかラインナップが無かったのですが「今日どこ行く?サーモン食べに行こうぜ!」ってなりません。来店動機が無いことにノーゲスの店内で1人でそっと気づきました。

 

本当に立地と業態が大切なんだと身に染みました。

 

メニュー改善はしたのですが、本八幡店は家賃27万、月商200万位。自分が現場にフルで入ったらギリ成立する状態が続きました。

 

この頃資金の殆ど使い果たしキャッシュがギリギリ回っている状況の中で、追い討ちをかける様に亀有のショーパン焼肉の店長だった社員に月末の支払い前の通帳の中身400万円程持ち逃げされてしまいました。

 

当時は各店舗の店長に通帳もキャッシュカードも預けていて売上入金と支払いも任せてたんですよね。

 

従業員が盗んだお金は盗難ではなく横領になってしまうのでテナント保険も使えないので回収できません。警察に行っても横領事件は弁護士を通して告訴しないと親身に動いてくれず、結局弁護士に高いお金を出して数年かけて刑事裁判をして示談。

 

有難いことに本人は今でも毎月3万円位づつ返済してくれてます。(読んでないと思うけど、あの時は本当にごめんね!たぶん放漫だった僕にムカついてそんな事をさせてしまったのだと思います。)

 

月末の支払いが完全に足りなくなり大変情けないのですが、カミさんの両親、自分の姉、親父が100万円づつ貸してくれて、少し足りない分はアイフルで50万位キャッシングして支払いをしました。

 

同時期に一号店の売上も下がり始め、会社員時代から連れたスタッフも1人また1人と離れて行きました。僕にとってはこれが1番悲しかったです。(今では戻ってきてくれた方もいるので本当に本当に大切にして参ります!)

 

あれだけみんなでお酒を飲みながら語り合った夢は何だったのだろうか、。

 

でも振り返ってみれば自分が好き勝手に酒飲みながら話してただけで夢なんて語り合ってなかったのだと反省しました。

 

お金も人も無くなり本八幡のお店でポツンと1人。

夕方のオープンから閉店の深夜まで働くのですが始発で家に帰るのも面倒でいつも店泊してました。

 

お店を止めるにもお金が掛かるから辞められない。新規出店するにもお金がないと言う、後にも先にも進めないこの状態が結局2年近く続き、

 

気づけば年齢も30歳を超えました。自分は天才ではなく普通以下だと分かるには十分な結果でした。

 

弱り目に祟り目とは本当に昔の人は良いこと教えてくれるもので、当時何故かヤクザと言うかチンピラにお店を目をつけられてしまいボコボコに殴られた時もありました。

 

何してるんだろおれ、。

閉店後の薄暗い店内で悔しいのか悲しいのか分からない涙が出ました。債務整理って何だろうと調べてたのを覚えてます。

 

そんな半ば人生を諦めてた頃、松原団地駅の知り合いの社長から譲って頂いた業務委託の物件で鶏ヤローを作り徐々に回復して行きます。

 

 

お店を止めるにも止められない、新規出店するにもお金がないと言う、後にも先にも進めない状態が2年近く続き半ば人生を諦めていた頃、

 

取引先の肉屋の社長さんから「埼玉県の松原団地駅で居酒屋を始めたが上手くいかない。やってみないか?」と声を掛けて頂きました。

 

二つ返事でお店の中を見せて頂き「やらせて下さい!」と直ぐに答えました。もうラストチャンスだと思いました。

 

この松原団地駅は獨協大学がある駅で1.2階建ての50坪家賃25万円のボロ一軒家みたいな居酒屋の物件で、これに肉屋の社長さんに業務委託費20万円を支払い固定費45万円。

 

当時は月末の支払いのあと預金残高に20万円位しか残らなくて、酒屋さんの支払いを少し遅らせて(本当にすみません!)、ホームセンターでプラスチックボードとA4の黄色紙を買い自分で商品名をそれっぽい字で書いて店内と店外に貼った。

 

とにかく店内を満席にしたいと思いました。

 

当時から鳥貴族さんが絶好調で、お店の前の鳥貴族さんが月商1000万位売ってたと思います。僕みたいな個人の兄ちゃんは低価格路線と食べ放題には絶対に手を出してはイケないと言った暗黙のルールみたいのがありましたが、客単価2000円のお店を作ることにしました。

 

しましたって言うかそれしか思いつかなかったし、ずっと暇なお店をやってたので、儲からなくても良いから、とにかく忙しいお店で働けたら嬉しいと思ってただけです。

 

均一価格だとモラル感に欠けるのでドリンクの単品価格を下げて値決めをしました。

 

生ビール299円

ハイボール50円

サワー、カクテル、焼酎99円

唐揚げ食べ放題99円

フード299円〜

 

ハイボールを50円にしたのは、ハイボールは当時原価も低いわりに生ビール位の価格で売ってるお店も多かったので、屋号は覚えて頂けなくとも「今日どこ行く?あのハイボール50円の店行こうぜ!」って、とにかく覚えて欲しかっただけです。

 

本当は料理で覚えて頂けるお店にしたかったのですが、そう言うのも当時は思いつかなかったです。

 

その頃、たまたま前職の焼肉屋を平城苑さんが買収したタイミングで、そこで昔一緒に働いていたムラ(邨井さん)と、その焼肉屋の隣の車屋さんで整備士をしていた近藤さんの会社も何故かタイミング良く倒産して、2人が入社してくれてたのがすごく大きかったと思います(あと昔から一緒に居るしんたろうね!)

 

その時はまだ鮭ヤローと言う屋号でしたが途中から直ぐに鶏の方が安いしお客様も鮭だから来店してる訳でないので屋号を鶏ヤローに変え(フードは普通の居酒屋みたいな感じ)引渡しから5日後にオープンしました。

 

2月5日オープン初日。その日は雪が降りました。

「あぁ天候にも恵まれんか」とため息が出ましたがオープン時間が近づくと20名位の行列ができていました。

 

お寒いでしょうにと、直ぐにお客様を店内に案内すると一階の40席程の店内がすぐに満席になった。

 

スタッフはムラと僕と、その前のお店から引き継いだ女の子1人と長さんと言う当時70歳のおばあちゃん。

 

大忙しの中「これはっ!」(イケるんじゃないか!)とムラと目が合ったのを覚えています。

 

嬉しくて嬉しくてたまらなく泣きながらチャーハンを作る鍋を振るった。

 

借金のこと、明日の支払いのこと、今までの売上のこと(ほとんどが金のこと笑)色んな想いが込み溢れました。

 

その後も来店は続き外にも待ってるお客様も居ましたが初日4人ではオペレーションが回るはずもなく商品の提供遅れが続き、迷惑をかけてしまったからとその日はお代を頂戴するのをやめました。

 

余談ですがその忙しい中、ムラに今日はお会計もらうのやめようと話したら「え?何言ってんスか?普通に取りましょうよ。」って真顔で言われた時、ムラの冷静さと強さを感じました。床までチビ伝ついてるのに。

 

※チビ伝とはキッチンプリンターから出てくる注文伝票のことです。

 

結局、初月の売上は700万。原価率は70%で利益は出ませんでしたが、徐々にムラが商品の細かい改善をして原価率も適正化、利益店舗となり遊ダイニングは息を吹き返しました。ムラくんいつもありがとうね!

 

特に原価率を圧迫していたのは唐揚げ食べ放題99円で、一日30キロ以上の唐揚げの仕込みを長さんと言うおばあちゃんが担当としており

 

ある日、仕込みが少し少なかったのか、いつもより早い20時位に欠品してしまい、それでもぞくぞくと入ってくる唐揚げおかわりの注文に、長さんがホールに出て

 

「本日の唐揚げもうないよぉ。頼まないでぇ。」と声を上げたら満席の店内からスタンディングオベーションが起きました。

 

よっしゃー!オレたちこの店の唐揚げを食いきったぞ!と、。

 

この時から、この出来事を唐揚げ終了タイムと名付けて毎日20時になると長さんにやってもらいました。当然、原価も下がりましたね。

 

店内には獨協大学生しか居なかったので、そこから大学のキャンパスに居る学生数や学生寮を調べて大学のある駅に絞って出店することで徐々に店舗を広げて行きました。

 

 

何事も諦めず続けていたら良い事があると言えば簡単ですが、この松原団地店はそれを僕に教えてくれました。

 

後にも先に進めない状況が数年続きましたが埼玉県の松原団地店駅の鶏ヤローでの成績で息を吹き返し、松原団地駅と同じような駅で出店しようと物件を探していると、

 

運良く千葉大学のある西千葉駅で、キャンパスには学生数2万人(もっとかな?)が居る乗降客数は3万人くらい駅の、焼肉屋なのかイタリアンなのか分からない、スキュアーズと言う屋号の見るからに自己満業態の居抜き物件が空きました。

 

内見に行くとそこには当時、僕と同じ歳くらいの、オーナーさんが店内で待ってくれていました。

 

同じく自己満業態のサーモン専門店を作って撃沈した過去のある僕としては、どこかそのオーナーさんに親しみやすさを感じながらも、少し上目線で内見しました。

 

西千葉店は初期費用は300万位で家賃は20万。松原団地駅で上手く行ったなら、この場所でもイケるはずと直ぐに契約入居させて頂き、

 

その時、オーナーさんに「これから何するんですか?もし良かったら一緒に働きませんか?」と声を掛けると「もう飲食はやらないかなぁ。実家に帰ろうと思う。」そんな返事でした。

 

そのオーナーさんはご丁寧にも、今までお店で働いていたアルバイトスタッフだけでも雇って上げて欲しいとスタッフさんを紹介してくれて去って行きました。

 

さて。

オープン準備期間に入り、ご近所さんに挨拶回りをしていると「あの場所は入れ替わりが激しいから呪われてるよ」と近所さんに言われたのを覚えています。

 

お店の全ての窓を開けてポジティブになるようにと、ファンキーモンキーベイビーズを流しながら、バイオハザードみたいな壁と床を掃除しましたね。

 

あとお店にあったテレビを撤去しました。

テレビって余程の理由がない限りお店に設置しない方が良いと思うんですよね。

ちなみにそのテレビはスタッフさんの懇親会のビンゴの景品となっていました。

 

西千葉店をオープンさせると初月の月商は500万を超える素晴らしい結果でした。多分これは、僕の今まで出したお店の初期投資回収率のレコード記録で3か月位です。結果的にこの場所は呪われてもなかったですね。

 

(余談ですが西千葉店はコロナの休業協力金が家賃20万円なのに毎月200万位貰えましたからね!もうオレはこの日のために西千葉店を出したのではないかと思いましたよ。すげぇ不謹慎ですが。)

 

この西千葉店の成功を機にビールメーカー、酒屋さんからの協賛金も跳ね上がり、たしか西千葉店は200万位でした。(こう書くと気持ちが入りませんがサッポロさんいつも本当にありがとうございます!)

 

鶏ヤローは若者にウケる。

これは店舗展開出来るかもしれない。

そんな想いがフツフツと込み上がりました。

 

それと同時に自分の本八幡でサーモン専門店をやって1人で悲しい思いをした過去や、飲食業はもうやらないと去って行った西千葉店の前のオーナーさんの事を思い出すと、

 

少しでも僕みたいに失敗をする人が減らないものかと考えるようになりました。

何か自分にも出来る事はないかと、。

 

僕が始めたのは鶏ヤローのフランチャイズでした。もちろんフランチャイズなんてやった事もなかったし、もうノリで始めました。とりあえずやってみてから考えるタイプで、普段から説明書とかも読まないですから笑

 

フランチャイズと言うとヨコシマなイメージがあり、本部は儲かっても加盟店は儲からないWIN&Loseな関係性が訴訟の多い原因だと直ぐに分かりました。

 

そんな時、たまたま読んでいたキングコングの西野さんの革命のファンファーレと言う本の中で「オセロの角だけは取っておいてマネタイズを後に遅らせる」と言った一説に感銘を受けました。

 

「後でお金を頂くことで、すぐに現金は得れないが信用を得ることができ、その信用は可能性として膨らみ続ける」そんな一説だったかと思います。

 

ここで言うオセロの角とは商標や仕入れ先、メーカーの指定、協賛金です。

 

以前、僕もフランチャイズ加盟を検討した事がありましたが加盟金だけで200万、さらに保証金、毎月のロイヤリティ等とフランチャイズ市場がまだまだ高額だった事を思い出し、

 

加盟金も毎月のロイヤリティもハイボールと同じ価格の50円にしました。課金は後から考えようと。

 

FC加盟店の運営を管理したり、加盟店を媒体で募集したりすると、その管理者のお給料や募集サイト料金を、加盟店から搾取する必要が出てくるのでそう言った事がないように、その時から非常にフラットなFC組織をイメージしました。

 

思い返せばマクドナルドのビッグマックバーガーも本部ではなくFC加盟店が勝手に開発したものですしお互いの成功事例を共有し合えば良いと思いました。実際に鶏ヤローにはテーブルの上にテキーラダッシュボタンなるモノがあるのですが、これも僕が考えたモノではありません。

 

波をつけて言うと放ったらかしですね笑(さすがに現在はFC店が20店舗位になり、1人専門の社員を雇うために毎月5万円のロイヤリティを頂いたり、徐々に整備しております。)

 

フランチャイズ展示会に進入して、喫煙所やフードコート、他社のブースの前で勝手にチラシを配ってましたね。(これ怒られるやつだな)

 

そんなノリだけで気づけば10名以上のFC加盟オーナーさんが集まり今でも鶏ヤローを続けてくれております。

 

このまま鶏ヤローだけ出店してれば良いものの、僕はこのあと焼肉屋、馬肉酒場、イタリアンと新業態の出店をしましたが全て売れなかったです笑 笑えないですが。

 

焼肉屋はお好み焼き道頓堀さんのロードサイドの居抜きで、当時流行っていたアンガス牛(流行ってもなかったか)をメインに扱った黒一頭と言う屋号のアンガス牛専門焼肉店でしたが、そもそもアンガス牛に想いや拘りもなくアンガス牛にも失礼な結果となりました。

 

馬肉酒場は西葛西駅の居抜きで、山形の芋煮祭りと、当時流行り初めていた馬肉を使った、百万馬力と言う屋号のお店でしたが、もうズッ転けると一生懸命考えた屋号すら恥ずかしく聞こえるのね。

 

イタリアンは竹の塚駅でやったのですが足立区はアヒージョよりモツ煮でしたね!

 

失敗すれば当たり前に気づける敗因なのですが、それを体験するまではわからないもので、新業態には何度も失敗を重ね、一緒に働いてくれる社員にも本当に辛い思いをさせてしまいました。

 

その頃、自分の店舗に行った時、当時アルバイトスタッフだった学生の子にうちで社員になったらどう?と聞いたら、

 

「イヤですよ!だって僕うちの店長みたいになりたくないですもん!」と言われました。

 

その時、ハッと気づくモノがありました。

僕が作った業態のせいでお客さんも来ない中、ワンオペでアンガス牛や馬肉、アヒージョを仕込む店長。

 

休みなく長時間働く社員。

それを放ったらかしにしていた自分。

 

気づけば社内に居たのは、自分が学生アルバイトだった頃に見た、毎日葬式みたいな顔をしている大人や辛そうに働く会社員でした。

 

全部、自分のせいだと反省しました。

 

おれは何で飲食業界に入ったんだっけ。

本当に自分がやりたかったのは新業態を作る事だったのか。

 

深く深く自分の過去に遡ると、そこにあったのは創業の想いや理念がありました。

 

学生の頃にゆうたくんと一緒に憧れた店長、

 

そんな店長や大人になるんだと決めて入社した焼肉屋。

 

起業した後、自分の社内を見渡せば自分が学生の頃に見た、自分がなりたくなかった辛そうな大人、会社員がそこには居ました。全部、自分が作っているのだと反省しました。

 

何種類も色んな業態があって何店舗かやってるのがカッコイイと思っていて、僕はそう言う自分の見栄えだけを気にして、この業界に入った事、僕にキッカケをくれた大切な人達、出来事をいつの日か忘れてしまっていました。

 

自分にとって大切な事に気づきました。

 

当時は飲食業界で働いている人=ブラックなんてイメージが強くて、これをまず自分が学生の頃に憧れた店長みたいに変えたいと素直に思いました。

まずは自分の目の前の人達から少しずつと。

 

創業の想い「飲食業界のイメージを変える」

理念「WIN WIN=3K」

共に勝ちカッコいい、稼ぐ、叶うを実現する。

そんな想いを込めました。

 

だから今は社内でも普段からアルバイトスタッフさんから店長がカッコイイと思われているか?カッコイイと思われるためには何が必要かと良く考えております。

 

この想いが叶うなら鶏ヤローであるとか低単価であるとかハイボールが安いとか全て手段に過ぎません。方法は沢山、目的は一つだと。

 

これは毎月、僕から社内に理念講習として話してますし、毎日朝礼で昌和して月に一回朝礼大賞を決めて表彰もしております。

 

2年前の11月11日に社名を株式会社遊ダイニングから株式会社鶏ヤローに変えたのですが、これも理念がハッキリしているからこそ良い意味で何でも良いと思えるようになりました。ゆうたくんや学生の頃の店長の事を忘れた訳ではありませんが、みんなにとって社名は分かりやすい方が良いかなって!

 

初めは株式会社鶏ヤローってすげぇダサいと思ってましたが、事業が上手く行くにつれ社名もカッコ良く聴こえてくるものです。やっぱダサいか、領収書の宛名とか聞かれたらドキドキするもんね。

 

出店の初期投資回収が早くても、月商が450万円以下で社員2名以上置いたら利益額が気になる様な店舗は、組織で運営しようとすると経営効率が低く3Kが実現しづらいので、業務委託独立に回しました。

 

業務委託店舗の大体は初期投資400万〜500万位で全てが居抜きです。これからも居抜きしかやらないと決めているし、事業が失敗する時って大体が出店(投資)で命を落とすのだと思ってます。売上が下がって来てじわじわ死ぬってあまり無いかと。

 

現在業務委託店舗は13軒あり、独立を目指してる方が居ましたら僕に連絡下さいね!一応CMしとこう笑独立こそ最もの3K(カッコいい、稼ぐ、叶う)の手段です。

 

この3Kに対して社内でもKPIがあり評価制度や表彰、研修を毎週と毎月に分けて行っております。

 

売上予算達成率やFL管理はもちろん、社内アンケートでアルバイトスタッフさんから店長さんの評価を毎月頂いたり、主体的であること=カッコイイと位置付け、出来る限り店長には権限を持たせるようにしています。接待交際費使えたり、領収書切ってる大人って若い頃なんかカッコ良く見えたじゃないですか笑、そんな感じです。

 

鶏ヤローコンセプトは「若者のお酒離れを防ぐ」と少しギリギリなテーマなのですが、コンセプトが出来るとペルソナも自然とみんなで共有できるもので、スマホの画面が割れてたり髪ピンクな20代を電車で見かけると「うちの常連さんやな」と思う事があります。

 

覆面調査を入れて各店のQSCを図っているのですが年齢が上の方がいらっしゃると「店内がうるさい」とか「揚げ物しかない」とか言われ点数が下がるのに気づき、

 

渋谷店では初の40歳以上入店禁止(例外有り)にしましたが、これも結果的に良かったです。そこまでしなくとも売れたと思いますが、客層を捨てた事で自分達にできる事がハッキリしました。

 

うちのお客様は店外でゲロを吐いたり、店前でタバコ吸ったりポイ捨てしたりするので、これでは街やご近所様とWIN WINになりません。ですから店前の清掃や街のゴミ拾いをする方(65歳以上)の雇用を各店舗で進めております。

 

余談ですが当社の一人当たりの平均杯数は7杯を超えており、こちらもKPIの1つの項目で最も多い店舗が酒離れに貢献したとして毎月表彰されます。みんなの前で感謝を伝えたり褒めて上げる事がいかに大切な事なのかを知りました。(表彰されてる内容がやべぇですが。)

 

以前は店前に今月の救急車の台数とか貼り出していましたが、さすがに止めました。近い将来は成人式(もちろん20歳以上ね)は無償にしようと思ってます。

 

最近では有難い事に、こんな即席業態を真似してくれる勇者も増えてきましたが、この理念やコンセプトまでは真似出来ません。

 

店内ではジョッキクーラーを入れ、卓上の呼び出しベルを押すと「キンキンに冷えてやがる!」と音が鳴るのですがここまでは真似しない。

店内音楽もUSENを使わずパチスロの大当たりの時の曲やゲーム、アニメ、YouTuberの曲が使われています。神は細部に宿るかと。

 

んで。

店舗数=偉いみたいなのが自分にはあったのですが、大した拘りが無いから店舗数だけに拘ってただけで全然偉くもなれなかったです。大切なのは店舗数=幸せにした数なのだと反省しました。

 

キャバクラとか行った時に店舗数が多い方がモテるんだよな。そのためにオイラは必死になってたのかも知れん笑

 

もちろん店舗数は分かりやすく共有しやすい指数なので今後も目指しますが、それよりも単位にならないモノをまずは大切にしようと思います。カッコイイとかやりがいとか在り方とか。

 

そのために、勤務環境を整える必要があって36協定を入れて残業時間を毎週管理したり、定期的に他社と年収を比べ、それ以上の経済的な豊かさを与えられるようにと励んでおります。

 

アルバイトスタッフの有給休暇100%消化も目指しており、企業としては当然のことですが、これもなかなか難しい事だと思います。

 

それもこれも、4年程前に出会い経営顧問としてやってくれている南山太志さんのおかげです。マネジメントや経営管理は僕向いてませんでしたから。

南山さん。いつも本当にありがとうございます!

(南山さん、顧問先募集してると思うので良かったらご紹介致します。コンサルって胡散臭いやつ多くて、んじゃお前が焼き鳥屋でも一軒やってみろや!と思うのですが、南山さんはそう言う人じゃないです!すんごい性欲強いですが。)

 

だから最近は出会いって本当に大切なんだと身に染みて思えるようになって来ました。そんなWIN WINな人間関係をこれからも築いて参ります。

 

​これで僕の自己紹介を終わりにします。

居酒屋それゆけ!鶏ヤロー!

【運営会社】株式会社鶏ヤロー

【住所】270-0176 千葉県流山市加1-1593

【Email】yuuta.dining17@gmail.com